香川県建設業協会 創立70周年記念誌
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学校建築で技術力向上共同企業体の普及三大プロジェクトとその影響生コン工場、ポンプ車の登場 気候に恵まれた香川県にとって、唯一の問題であった水不足を解消するために、1951(昭和26)年、四県の知事、議長が合意して、「四国はひとつ」を合言葉に、四国地方総合開発審議会が発足した。1960(昭和35)年には四国地方総合開発促進法が公布され、1962(昭和37)年に審議会の中に吉野川総合開発部会を設置。1973(昭和48)年に早明浦ダム、池田ダムが竣工し、2年後の1975(昭和50)年に香川用水の本格通水が開始された。 1955(昭和30)年ごろに行われた町村合併に伴い、県内小中学校の統廃合も進めながら、危険校舎の改築、特別教室の新設、講堂から体育館など、次々と木造から鉄筋コンクリート造に変わった。特に体育館は屋根が高く、地元の建設会社は技術面で苦労したが、その課題を克服しながら力を付け、成長していった。 1961(昭和36)年に香川県で最初に稼働した香川県生コンクリート工場は、コンクリートの品質向上と使用量の多い建築のスピードアップに貢献した。1965(昭和40)年には定置式のCOポンプが開発され、県内では四国通産局の改築現場で初めて使用した。 ポンプ車は1968(昭和43)年に登場し、2年後にはブーム付きになり、コンクリート打設作業はほぼ10年で大きく変化した。 建設省は1960年代後半から大規模工事の円滑な施工、中小建設業の施工能力の向上・技術移転・企業合同への誘導を目的に大手企業と中小企業の共同企業体(JV)の活用・普及に取り組んだが、地方の公共工事にJVが採用されるようになったのは昭和50年代に入ってからである。その後、大手同士、中小同士のJVもみられるようになり、中小建設会社の受注機会の確保の手段としての性格を持つようになった。 1973(昭和48)年のオイルショック以降、不況は浸透し高度成長から低成長時代に転換し、建設業界もその影響を強く受け、業界の不振は顕著となった。1977(昭和52)年に政府から第三次全国総合開発計画が打ち出され、1979(昭和54)年には大平内閣により「新経済7カ年計画」が発表され、景気浮揚策が取られた。香川用水が通水開始早明浦ダム協会70年のあゆみThe 70th anniversary commemorative book131

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