香川県建設業協会 創立70周年記念誌
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 バブル崩壊の直撃を受けてからの20年は、建設業にとってまさに激動の時代であった。工事の絶対量が減少し、建設投資額は1992(平成4)年の84兆円をピークに下降し、2000(平成12)年には66兆円、2010(平成22)年には41兆円まで下がった。2011(平成23)年もさらに下がると予想されたが、東日本大震災による復旧工事などもあり、2015(平成27)年は51兆円と持ち直したが、ピーク時に比べると約4割減少した。 20年前の1998(平成10)年、香川県は真鍋県政船出の年だった。当時の赤字財政を解消するために大胆な行財政改革を断行。県庁職員の給与カットや職員数の削減とともに、大規模事業や箱物整備の廃止・休止、見直しなど投資的経費も抑制された。また、見積もり段階から単価の見直しが行われ、公共事業を中心とする投資的経費は、1998年の1,775億円から、退任時の2010年には524億円となり、約70%減少した。県内の建設会社にとって、まさに冬の時代だった。 2005(平成17)年、大手建設会社による談合問題が発覚し、不祥事が相次いだことを受けた「脱談合宣言」も大きな変化をもたらした。入札制度が指名競争から、透明・公正を掲げた一般競争へ移行し、発注者側が新しい入札制度を導入した。建設投資額が激減している時期とも重なり、結果として大手企業の地方進出が減り、地元の建設会社には追い風となった。 県内では、2006(平成18)年に「平成の大合併」が完了し、5市38町が8市9町になった。合併特例債が公共施設の建設需要につながり、地元の建設会社は恩恵を受けたが、旧市町に出ていた予算が、統一されたことで大幅に減少した。公共工事の受注先が広がったが、競合先が増えたという見方もあり、結果として受注競争が激化した。  2007(平成19)年にはサブプライムローンをきっかけに、住宅バブルが崩壊した。投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻に端を発した「リーマンショック」は、100年に一度の危機といわれ、世界を巻き込んだ。国内の民間需要も急激に低下し、バブル崩壊から立ち直りかけていた日本経済も影響を受けた。株価の暴落や急激な円高により、輸出で稼いできた企業は次々と海外進出を進め、国内産業の空洞化が問題となった。 その翌年、政権交代は低迷する建設業界に追い打ちをかけた。「コンクリートから人へ」を掲げる民主党政権の下、公共工事の予算はますます厳しくなり、建設業が崩壊するとまで言われた。県内でも、高松自動車道の4車線化などのバブル崩壊の余波建設業界の苦難新入札制度導入と平成の大合併激動の年201998年(平成10年)~2017年(平成29年)香川県建設業協会 創立70周年記念誌134

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